日常の末端4

「日常が苦手」という言い方をすると、「いや、毎日の積み重ねが大事だ!」とか、「日々の営みが何よりも重要」とか少しお小言めいた話が返って来るので、当初それに困惑する自分がいた。

で、何がいけなかったんだろうと考えたのだけど、多分日常が苦手なんじゃなくて日常に現れる欠点が苦手なのではないか?

自分が若い女子の時は、女友達や同僚に自慢できる高スペックなお相手が欲しい…とか現代女子の様に効率良く考えるタイプの人間では無かったのだけど、思えば「欠点の無い、なるべく少ない」というモノしか見て来ない人間ではあったと思う。

この「欠点」という枠組には勿論自分も入る。若い時はそういう意味でも自分でいるのが好きでは無かったし、他人も大きく表に出してしまう人は苦手だった。

小さい時に、親族に現実としては人格者でバランスが良くかなり完璧に

近い人の側で育った。

それは私の祖父なのだが、決して身内びいきという訳ではなく、今迄出会った人の中でもダントツである。

少女漫画とかドラマとかのように見掛けも頭脳も…というのとは違うのだけれど、私の母はかなりの年齢を重ねても、ウチの祖父の様な人が男性の鏡だと思い込んでいたようだ。


実はそうではない人のが多かった。


親族の中の狭い世界で育った話なのに、祖父が私達に与えてくれた環境は天国に近かった。完璧に近い人間を側で見て育った為に、何処か減点法で人生を眺めてしまうという…これは癖に近いのか、チョット厄介なモノの見方に本人も格闘する毎日でもある。

ジジコンの一言で済む話でもないのだ。